オゾンと神経
抗菌・抗ウイルス効果を示すオゾンですが、それ以外にも化学物質として生体内に影響を及ぼすことが示唆されています。
つまり、オゾンそれ自体が生体反応を変化させうるということです。
このコラムでは、オゾンが神経に与える影響を英語論文を引用しながら紹介させていただきます。
オゾンとは

オゾン(O₃)とは酸素(O₂)の同位体で、酸素にもう一つOがくっついた化学式O₃で表されます。
オゾンは発生器で容易に発生でき、抗菌・抗ウイルス効果を示し、すばやく空気中の酸素に戻ることができるため、地球にやさしい抗菌物質として注目されています。
オゾンと神経

抗菌・抗ウイルス効果を示すオゾンですが、それ以外にもオゾンは化学物質として生体内に影響を及ぼすことが示唆されています。
つまり、オゾンそれ自体が生体反応を変化させうるということです。
ここではオゾンが神経に与える影響を英語論文を引用しながら紹介させていただきます。
トルコのメルスィン大学医学部の研究チームの成果です。
ラット新生児の低酸素虚血脳損傷へのオゾン療法の効果(PubMed)

本研究は低酸素性虚血性脳症の治療にオゾン療法が応用できないかを動物実験で検証した論文です。
低酸素性虚血性脳症とは、新生児の1/1000〜3/1000ぐらいの割合で生じる疾患で胎生致死や障害の主要要因とされています。
近年オゾンが低酸素脳症のモデルラットに神経保護作用があることが見出され、本論文の筆者らはオゾンが低酸素性虚血性脳症の治療に応用可能ではないかと考えました。
本研究で筆者らは生後7日のラットを低酸素チャンバーに入れ、低酸素性虚血性脳症の状態にした新生児ラットを作成しました。
その後、腹腔内からオゾンを注入し、神経細胞のアポトーシス(細胞死)を検討しました。
すると、驚くべきことにオゾンの注入によって低酸素性虚血性脳症による神経の細胞死がおさえられていることがわかりました。
加えて、モリスの水迷路によって記憶を調べたところ、低酸素性虚血性脳症による記憶力の低下がオゾンの注入によって抑えられていることが見出されました。
これより筆者らはオゾン療法は新生児ラットにおける低酸素性虚血性脳症による神経細胞の細胞死を減らし、認知機能を改善すると結論づけています。
この論文へのよくありそうな批判
少し専門的な話をしますと、この論文は主張はクリアで非常にわかりやすいのですが、生物の研究として若干大雑把に感じました。
脳の研究の場合、多くは部位ごとに区切って評価するのですが、本論文では大脳半球の右と左で分けているのみです。
加えて、認知機能の向上もモリスの水迷路の結果だけではどこまで語ることができるか微妙です。
私は行動テストの専門家ではないのですが、他の行動試験も行い、記憶に関連する蛋白質の染色等複合的に行ってはじめて認知機能の向上を主張できると思います。
ただ、本来科学とは完成されたものではなく、このような議論のプロセスを経て学問領域が成熟していくものです。
なので、現段階で言えることは少なくてもむしろ議論の火付け役という意味でこの論文は非常に意義があるということです。
次に神経細胞へのオゾンの影響をより詳細に検討した研究を紹介いたします。
オゾン暴露のラットの背側海馬のCA1錐体ニューロンの樹状突起スパインと物体-場所認知記憶への影響 Neuroscience. 2019(PubMed)

こちらはメキシコの研究グループの論文で、オゾンを公害のファクターと捉えて、オゾン暴露によって神経系にも影響が出るのではと仮説を立てて検討を行っています。
特にオゾンが活性酸素の発生を誘引することに着眼しています。
神経変性疾患でも同様に活性酸素が発生していることから、オゾン暴露によって脳内に活性酸素がたまり、それによって神経変性疾患のような脳内になるのではと彼らは想定しました。
実際にラットにオゾン暴露を行うと、海馬のCA1錐体ニューロンの樹状突起スパインの密度が減少し、物体-場所認知記憶が障害されることが見出されました。
CA1錐体ニューロンの樹状突起スパインの減少とそれに伴う認知機能の衰退はアルツハイマー病の主症状です。
よって彼らは本結果からオゾン暴露によってアルツハイマー病のような症状が脳内に生じる可能性があるのではと言及しています。
先程の論文と比べると生物系の論文だなぁという印象を受ける本論文ですが、ここで科学界ではよくある学説が2つに割れるパターンが見受けられます。
オゾンに対してオゾン療法の研究を引用して神経系へもオゾンが良い影響を及ぼすのではと考えて実験を行った前者の論文とオゾンと環境への影響、活性酸素の発生に着眼し、神経変性疾患との関連からオゾンの神経細胞への毒性を評価した後者の論文。
こうした議論に対して良く引用されるのはカハールのニューロン説とゴルジの網状説の話です。
まだ高倍率の顕微鏡ができていなかった時代には神経細胞がどのように脳を形成しているかは明らかでありませんでした。
カハールは細胞同士が小さな隙間を作って、いくつもの神経細胞が連絡を取りあって脳を作っているニューロン説を主張しましたが、一方ゴルジは少数の神経細胞が網状になって脳全体に情報を送っている網状説を主張しました。
どちらも一歩も引かず、1906年に互いにノーベル賞を受賞しました。
その時の受賞講演は互いの説を否定し合った中々見るに耐えないものであったそうです。
後に顕微鏡が発展し、より神経細胞の拡大図が見えるようになると、神経細胞同士の隙間(シナプス間隙)が観察され、カハールのニューロン説が正しかったことが証明されました。
しかし、ゴルジの実験や説が無駄だったかというとそんなことはなく、ゴルジが網状説を唱えるに際して使用した染色法はゴルジ染色として現在でも神経細胞を染色する一般的な手法として浸透していますし、ゴルジが歴史上最も優れた科学者の1人であることはノーベル賞の受賞からも疑う余地がありません。
他にも同じような実験条件で全く異なる結果が出たり違う結論が導き出される例は科学界では枚挙に暇がありません。
今回のオゾンのケースでも一見結果は異なりますが、例えばオゾンの影響は弱齢期と成熟期では異なるケースや実験条件の違いによるケースなどいろいろ理由は考えられます。
また、二番目の論文ではオゾン暴露が神経変性疾患のような症状が出ることを主張していますが、現在でも神経変性疾患の発生機序はよくわかっていません。
先述したようにオゾンの学術領域に対して1000倍以上の規模である神経変性疾患領域で、アルツハイマー病といえば誰でも知っている病気でありながらまだ疾患機序はほとんどわかっていないのです。
現在最もわかっていることはアルツハイマー病の患者ではアミロイドβとタウという蛋白質が凝集化して脳内に蓄積していて、それは認知機能の衰退より数十年先立って起きるということぐらいです。
オゾンのアルツハイマー病の発症への関与を記述するにはせめてオゾン暴露によって脳内にアミロイドβやタウが蓄積するかどうかを評価するべきでしょう。